そばりえ

うんちく

「出雲そば」とは

1.出雲そばの文化と歴史

 ・出雲そばの起源

島根県は、出雲、石見、隠岐の3つの地域から出来ており、出雲は島根県東部地方で、江戸時代に松江藩の領地である出雲の国を指す。

出雲そばは、松平直政が信州松本から松江移封になった時(寛永15年 1638年)、蕎麦職人を一緒に連れて行き、伝えられたものと言われている。

出雲といえば「出雲そば」と言われる程、生活に密着している食べ物である。そばは、庶民の食べ物であるからはっきり記録に残るようなものがなく、伝聞、風聞の書が多く、そば切りがいつどこで始まったかは定かではない。平成27年10月に、出雲地方におけるそば切りの古文書が発見され、寛文6年(1666)にそば切りの振る舞いが行われたことが分かった。

「江戸参府之節日記」(えどさんぷのせつにっき)

江戸前期の出雲大社の神職が、出雲大社の造営工事が進む中、松江藩寺社奉行宅で、本殿の柱立ての儀式の費用の他について協議、日暮れになった頃、「蕎麦切」の振る舞いがあったと記されている。

 ・出雲そばの文化

出雲そばを世間に広めることに影響力を持ったのは、そば好きであった松江藩七代藩主松平治郷公(1751-1818)だったと言われている。文化3年(1806)に隠居してからは不昧公と号し、茶道に通じ、石州流不昧派を創め、禅道・書画・和歌にも通じた。不昧公はそばが大好物だったようだ。「茶をたて、道具求めて、蕎麦を喰、庭を作りて、月花を見ん、このほか大望無し、大笑、大笑」この文に不昧公の全てが言い表されている。

風流を愛し、独自の武家茶道をつくり上げた不昧公は、「蕎麦懐石」なるものを考案したほどの大のそば好きであった。茶の湯の懐石といえば精選された食文化であり、そこに庶民の食べ物であったそばを取り入れることで、そばの地位を確固たるものにした。

これは不昧公の御言葉だが、「挽きぐるみで打つ出雲そばは、喉越しを楽しむ江戸そばとは違い、しっかり噛むように食べることで穀物の香りを楽しむもの」とされている。しばしば田舎そばと揶揄される挽きぐるみのそばだが、ソバの持つ本来の旨味を見据えた不昧公は、「どんなものでも供し方ひとつで旨いものがある」と表現したかったのかもしれない。

・人の力と風土が築き上げたそば文化

奥出雲地方では約1400年前から近世までこのたたら製鉄が盛んに行われており、最盛期には全国の8割に及ぶ鉄がこの地域を中心とした中国山地の麓で作られていたという。この鉄の原料となる砂鉄を採取するために山を切り崩し、たたらで使う大量の木炭を作るために山林を伐採し、その跡地で焼畑をしてソバの種をまいたという。昼夜の寒暖差が激しい奥出雲の気候はソバの栽培に適しており、こうしてできたソバは風味豊かで良質と高い評価を受けていた。不昧公をはじめそば好きのお殿様が奥出雲のそばを食べ、参勤で江戸に行きその評判を広めていたのであろうか。当時の奥出雲のそばは幕府に献上されていたほどであった。

長きに渡り地域の経済を支えたたたら製鉄は、意図したものでないにせよ、出雲のそば文化にも多大な影響をもたらしたといえる。過去を紐解いていくと、出雲そばの食文化としての地位は、長い歴史の中で非常に多くの必然的要素の上に完成したものだと言える。良質なソバが栽培できる気候的要素はもちろん、参勤交代やたたらといった歴史的要素や、不昧公のような風流人による文化的要素、割子など良質な器を作る地元の手仕事の伝統技術も継承されている。

砂鉄を採取するために山を切り崩し、棚田が形成された。

雲南市大東町山王寺「日本の棚田百選」(写真/島根県観光連盟)

 

2.伝統的な出雲そばの打ち方

出雲地方では伝統的に、石見焼きなどの深鉢でそばをこねる。麺棒は一本で丸く延す。広げて延ばすのではなく、転がすときと引っ張るときに加える圧力をうまく調整しながら延していく。こま板は使用せず、手ごまで切るため、ベテランの職人の手には立派なそば切りだこがある。但し、丸延しは広いスペースが必要となるため、丸延し・手ごまの伝統的な打ち方が出来る職人は減ってきている。

丸延し              手ごま

 

 

3.出雲そばの特徴

出雲地そばは、岩手県わんこそばや長野県戸隠そばと並び、日本三大そばの一つである。

出雲そばの特徴は、色の黒いことである。殻ごと挽いて甘皮をたっぷり引き込むため、挽きぐるみと言われている。「そばは黒くなけねばそばではない。」と出雲人はよく言う。普通のそばと比べて「出雲そば」はコシが強くて歯ごたえがあるので、さわやかな喉越しを楽しむというよりは良く噛んで味わうそばである。

出雲そばの独特の食べ方といえば、「割子(わりご)そば」と「釜揚げそば」につきる。

割子そば」は、割子と呼ばれる丸い器にそばを盛り、薬味とそばつゆを直接注いで食べる冷たいそばである。

「割子そば」のルーツは江戸時代に出雲大社を参詣した旅行客向けの弁当であった。「出雲そば」を道中持ち歩いて食べられるようにと弁当箱に入れて売り出したのが「割子そば」のはじまりといわれている。当初は四角い箱やひし形の箱など様々だったが、衛生上の観点から現在の様な丸い器に変遷した。

「割子そば」の食べ方は、好みの量の薬味とそばつゆをかけて、混ぜて食べる。

 

割子そば(3段重ねが一人前)

釜揚げそば」は、茹でたそばを洗わず茹で湯ごと器に盛り、薬味とつゆを加え味わう温かいそばである。

茹でたそばは水で締めないなので柔らかい食感だが、茹で汁にはそばを茹でた時に出るそばの栄養分が含まれているので、そばの旨味や風味を丸ごと味わえる。別に出されるそばつゆを自分で入れて濃さを調節できるので、自分好みの濃さにできるのも利点である。

 

釜揚げそば

・ソバの品種について

ソバの品種は、「横田在来」、「松江在来」、「三瓶在来」の在来種が現在も存在し、小粒だが希少な種類で、独特な風味をもつソバがあるが、生産量は限られている。県内自給率は20%程度で栽培種も県外育成の「信濃1号」に頼っている状況であったため、島根県農業試験場にて、北海道の古くからの品種「牡丹そば」(早生で倒伏に強い)を母に、「横田在来」(食味が良い)を父に交配、新品種として島根県オリジナル品種「出雲の舞」が育成され、平成23年産から栽培が開始された。現在、出雲市内を中心として栽培が行われている。

また、松江市は独自のブランド「玄丹そば」という銘柄のそばを提供している。これは水田の減反政策からの添削奨励策として推進しているものである。「玄丹」とは明治維新の時期に、機転と度胸で松江藩を救ったとされる「玄丹おかよ」という女性の名前と、稲作の「減反」をかけたものである。

・そばつゆについて

そばつゆは、カツオ節、昆布でだしをとり、そこに味醂や醤油を加えて煮詰め、しばらく寝かせてから使うお店が多い。松江では古代からつたわってきたとされる「自伝酒」を用いる店もある。また、煮干し、干し椎茸なども用いて工夫されている。大社地方の老舗の多くは、どうめ(うるめいわし)を用いて、独特の旨味を醸し出している。

 

 

4.出雲地方の観光

かつて出雲地方のそば屋は出雲大社の街道筋や参道の前に集中していた。庶民にとってそばは自分で打って食べるものであったから、もっぱら参詣客相手の商売だった。出雲そばの名前は旅のみやげ話として全国津々浦々に広まった。現在もほとんどの観光客が出雲大社に参拝し、出雲そばを食べることを目的として訪れている。

 

出雲大社(本殿)

 

松江には、国宝松江城があり、堀川遊覧船も人気である。城下町として栄え、食文化のレベルは高い。出雲そばの発祥の地としてそば店も多く存在する。

国宝 松江城

 

奥出雲地方には、横田小ソバという在来種があり、農家に代々引き継がれていて、粒は小粒ながら、製粉時の歩留まりが良く、香りも高い貴重な品種で、この地域の看板となっている。そばを求めた観光客が年中沢山訪れている。

鬼の舌震

 

出雲そばの日の制定:

松平直政公が出雲国松江藩への移封を言い渡された、2月11日を「出雲そばの日」として記念日登録された。(2022年)

 

執 筆:出雲そばりえの会

会長 小村 晃一

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